福岡県柳川市にある柳川古文書館で開催中の企画展「柳河藩ゆかりの刀剣」。近世筑後を代表する刀工・鬼塚吉國をはじめとした鬼塚派や、江戸時代に柳川で活躍した下坂忠親など、柳河藩ゆかりの刀工による刀剣および文献を展示しています。
11月3日(木・祝)には本展の関連行事として、日本刀の楽しみ方や筑後の古刀をテーマにした柳川市史歴史講座が開催されました。その模様をレポートします。
日本刀の楽しみ方、鑑賞のポイント
身近な存在だった日本刀
講座前半のテーマは「日本刀の楽しみ方」。日本刀の基礎知識や特徴、鑑賞のポイントについて、香川県立ミュージアム主任専門学芸員の御厨義道さんが解説してくれました。
御厨「現代では美術館や博物館などに見に行くというイメージが強い日本刀ですが、本来はもっと身近な存在でした。『モトサヤ(元の鞘に戻る)』や『鍔(つば)競り合い』『鎬(しのぎ)を削る』『切羽つまる』といった日本刀ゆかりのことわざや言い回しが一般的に通用するのは、それだけ生活の中で日本刀が身近な存在だったということ。
江戸時代に刀剣を所有できたのは武士だけと思われるかもしれませんが、実はそういうわけではありません。苗字帯刀は公的な場面における武士や限られた者の特権で、日常生活ではもっと幅広い層が日本刀を持っていました。たとえば祭礼では二本差しで練り歩いたり、旅行中には道中差しをしたり、帯びる機会もあったんですね。
現代では日本刀を所持するには刀剣登録をしないといけませんが、県の教育委員会が毎月おこなう登録審査には、ほぼ毎回持ち込みがあります。つまり相当量の日本刀が存在しているのです。」
製作工程を知れば、より日本刀の美を理解できる
御厨「明治以降、日本刀は武器としての役割が低下し、美術刀剣として捉えられるようになりました。日本刀の美とは、見て心が和むようなものではなく、背筋が伸びて身が引き締まるような『緊張感の美』だと私は考えます。
日本刀を鑑賞する際のポイントは、主に反りの美しさや長さ、地鉄の模様、刃文です。
現在日本刀は長さで種類分けされており、60㎝以上が太刀・刀と呼ばれるもの。太刀と刀の違いは、銘の位置と着用方法です。形状は同じですが、着用するときに太刀は刃が下に、刀は刃が上に向きます。展示する際も同様の向きになりますが、太刀の場合は見にくくなるため刃を上にするケースもあるようです。
現在博物館などで見られる日本刀は美術刀剣として化粧研ぎされており、刃文が見えるかどうかは光の当たり方次第。写真には映らないものなので、やはり現地へ足を運び、現物を見ていただかないとわかりません。
鑑賞するときは日本刀全体のバランスや調和を引きで見たり、高さや角度を変えてじっくり刃文を見たり、様々な視点から見るのがポイント。私たちは“EXILE鑑賞法”と呼んでいます(笑)
また、日本刀の美しさや特徴をより理解するなら、製作工程を実際にご覧いただくのがおすすめ。日本刀は、鉄の性質調整をしながら折り返し鍛錬をして造られますが、その過程で地鉄の模様が生み出されます。そして、焼き入れで反りや刃文がついていく。鑑賞の際は、その刀ならではの姿や変化を楽しんでいただきたいです。製作工程を知れば、どこを見ればいいか分かってくるので、ぜひ機会があればご覧になってみてください。」
講座では、日本刀の種類や特徴、製作工程について詳しく解説してくれた御厨さん。最後に、ご自身が住む香川県で見られる刀剣として、真守造・切刃貞宗・ニッカリ青江のお話もしてくださいました。
筑後で生まれ、現存する古刀
講座の後半は、福岡市博物館主任学芸主事の堀本一繁さんによる「筑後の古刀」をテーマにした講演。筑後で作刀され現存する刀剣について、古文書とともに解説してくれました。
三池で誕生した名刀・大典太とソハヤノツルキウツスナリ
堀本「ここでは筑後の古刀、つまり慶長以前の実戦期に作られた刀剣を紹介していきます。
九州では、三池光世、豊後行平、波平、肥後延寿、左文字、金剛兵衛といった刀工が知られ、彼らが作った刀は九州物と呼ばれました。三池(今の大牟田市)で誕生した一番出来の良い古刀が、国宝にも指定されている大典太です。足利将軍家から秀吉へ、そして前田家に伝わったといわれています。
同じく三池で作られたソハヤノツルキウツスナリも重要文化財に指定されている太刀で、こちらは徳川家康の差料として有名です。ソハヤノツルキウツスナリは家康亡き後、遺体とともに静岡県の久能山に納められ、御神体同然として大切に守り伝えられました。表と裏に『妙純傳持、ソハヤノツルキ/ウツスナリ』と切付銘が入っていますが、どちらも室町頃に彫られたと思われます。“ウツスナリ”という切付銘から、もともと別にオリジナルがあった刀を三池が真似たといわれてきましたが、おそらくそうではないとみています。
天下五剣のひとつにも数えられる国宝の太刀や、天下人・家康が愛用するほどの名刀が筑後で生まれたんですね。その他、三池ではもうひと振り重文指定された短刀があり、熊本の本妙寺に伝わっています。」
三池刀の特徴とは?
堀本「大典太もソハヤノツルキウツスナリも全長は85㎝ほど。一見同じ形のように見えますが、区(まち)を基準に持ち手の長さを見ると、ソハヤノツルキウツスナリのほうが短く、大典太の方が長い。そのため、切先までの刃長はソハヤノツルキウツスナリの方が長くなっています。
ともに腰反りですが、ソハヤノツルキウツスナリのほうがやや反りの位置が高い。その形から、大典太は平安の終わり頃、ソハヤノツルキウツスナリは鎌倉初期に作られたとみられます。反りは展示してある刀より、図録などの写真で茎(なかご)を垂直に立てて見ると、どこで曲がっているか分かりやすいですよ。
また、福岡市博物館所蔵の日光一文字と比較してみると、先に行くほど細くなる日光一文字に比べ、三池刀は元幅と先幅の差が少ない豪壮な刀といえます。多くの刀は鎬(しのぎ)造りといって断面がひし形のようになっていますが、鎬地一杯に茎の途中まで浅い樋(ひ)が入っているのも三池刀の特徴です。」
左文字派の大石左・鰺坂住源安盛
堀本「筑後では三池のほかに、大石左と鰺坂住源安盛という左文字一派の古刀が現存しています。南北朝時代に博多で生まれた左文字の刀は、切先の帽子がとんがっていて返りが深いという特徴がありますが、どちらもこの特徴を受け継いでいます。
左文字からは3振が国宝に指定されており、特に出来が良いのは秀吉の愛刀として知られる太閤左文字。同じく国宝の江雪左文字は家康が持っていました。名刀は天下人のところに集まるんですね。このように、南北朝時代に博多で多くの名刀が生まれたのは、度重なる蒙古襲来に対する刀の需要から起因するのではと考えています。
ちなみに国宝と重文では、地鉄のツヤと刃文の出来映えに大人と子供ほどの差があります。名刀の地鉄はステンレスのようにつるんとしているのではなく、針でつついたような細かな地沸や様々な模様、“働き”と呼びますが、よく見えます。そういった地鉄の働きや刃文を食い入るように見るのが、古刀鑑賞の楽しいところですね。」
古文書から読み解く、筑後の戦国武将が愛用した刀剣とは
また、戦国時代に筑後の武将はどういった刀剣を愛用していたのか、柳川にかかわるふたつの古文書からも読み解いていきます。ひとつは鷹尾(現在の福岡県柳川市大和町)城主だった田尻鑑種(あきたね)の刀日記、そしてもうひとつは柳川の立花家に伝来した戸次道雪が娘・誾千代に宛てた譲り状です。
堀本「田尻鑑種は引退する際、息子の長松に譲る刀剣をリストアップし、その由緒を書き記しました。そこには田尻家の伝家の宝刀として、豊後行平や三池典太など、長刀15振と脇刀3振を譲ると書かれています。そして戸次道雪が娘・誾千代に宛てた譲り状では、大友宗麟から拝領した一文字や左文字などの刀を宗麟の感状とともに譲り渡すので大切にするように、とあります。
ふたつの文書に記された刀剣を見てみると、当時筑後の武将は九州物のほか、鎌倉時代に作られた山城や備前の刀を愛用していたことが読み取れます。」
筑後そして九州の刀の見どころや、日本刀鑑賞について理解を深めることができた本講座。解説を聞き、改めてじっくりと日本刀を鑑賞したくなりました。冒頭で紹介した柳川古文書館の「柳河藩ゆかりの刀剣展」は2022年11月27日まで。お近くの立花家史料館はもちろん、おふたりが在籍する福岡市博物館、香川県立ミュージアムにもぜひ足を運んでみてくださいね。
会期:2022年9月29日(木) 〜 2022年11月27日(日)
開催場所:柳川古文書館
住所:〒8320021 福岡県柳川市隅町71-2
休館日:月曜
時間:9:30 〜 16:30(入館は16:00まで)
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