刀剣展示の生中継も!「立花家の歴史と宝刀」ウェビナーレポート

2020年6月20日(土) に行った「立花家の歴史と宝刀」オンラインウェビナー
福岡県柳川市にある立花家史料館の館長・植野かおりさんより、立花家の歴史や特集展示「刀を見る、伝来を知る -柳川藩主立花家伝来の刀剣-」に展示されている刀剣の見どころを解説いただきました。当日参加できなかった方のために、ウェビナーの模様を一部レポートします。

立花家の歴史を知る

今回のウェビナーでは、刀剣好きの方からのお申込みが半数以上を占めていました。そこでまずは、刀剣の来歴に深く関わる立花家の歴史について解説いただきました。

戸次道雪から誾千代、そして宗茂へ

植野館長(以下、植野)「近世大名立花家の初代は戸次道雪(べっき・どうせつ)といいます。戸次氏はもともと豊後大友氏の一門でしたが、元亀2(1571)年に立花家の名跡を継ぎ、立花山城の城主となりました。
しかし道雪には息子がいなかったので、まだ数え7歳だった一人娘・誾千代(ぎんちよ)にすべてを譲ります。その後、天正9(1581)年に同じく大友氏の重臣だった高橋紹運(じょううん)の長男・宗茂が婿に入ったのです。誾千代13歳、宗茂15歳でした。宗茂は、婿入りした翌年から立花姓を名乗るようになります」

ウェビナーでの画面。資料や地図を表示しながら解説いただいたので、わかりやすいと好評でした。

秀吉に認められ、柳川を治める大名に

植野「しかし結婚後すぐ、天正13(1585)年には養父・道雪が亡くなり、翌年に実父・紹運も岩屋城で戦死してしまいます。宗茂はその時、立花山城を守っていました。秀吉の援軍が到着し、北上していた島津軍は撤退を始めますが、弱冠二十歳の宗茂はここで打って出ます。その活躍をみていた秀吉に認められ、宗茂は柳川の領地を与えられ一大名に出世したのです。」

その後、文禄・慶長の役にも出陣し活躍していく宗茂。しかし慶長5(1600)年、運命の分かれ目となる関ヶ原の戦いが起こるのです。西軍についていた宗茂ですが、その後の人生は何とも波乱万丈でした。

改易後、領地復帰となった西軍武将は宗茂だけ

植野「宗茂は九州に戻りますが、まわりは敵だらけ。加藤清正に説得され、柳川城は開城し、改易となってしまいました。しかし元和6(1620)年、宗茂は54歳で20年ぶりに柳川に再封となります。関ヶ原の戦いで改易となった武将で、元の領地を復帰できたのは宗茂だけなんです。2020年は、その再封400年の記念すべき年なんですよ。」

本当は再封までの経緯をもっと詳しく聞きたいところですが、今回は時間の関係で泣く泣く割愛。ここまでのお話で紹介した道雪や宗茂、その後の立花家と刀剣の関係について、トークは展開していきます。

立花家の宝刀、その来歴を知る

立花家ゆかりの刀剣として特に注目されているのがこちら。

  • 国宝「短刀 銘 吉光」
  • 重要文化財「剣 銘 長光」
  • 「脇指 無銘(雷切丸)」

今回は特集展示でも見られるこれらの刀剣を中心に、植野さんに来歴を解説いただきました。

立花家の祖が足利尊氏から拝領した、国宝 吉光

植野「立花家史料館所蔵の吉光は、道雪より前の立花家、南北朝時代の立花家から伝わった刀です。 その立花家の祖が、立花山城を築城した立花貞戴(さだとし)という人物です。」

はい。このあたりで「え?さっきの立花家とどう違うの?」と混乱する方もいらっしゃるでしょう。そんな皆様に分かりやすく理解してもらうため、アイテムを仕込んでくれていた植野館長。

まさかのお手製・貞戴うちわです!

植野「建武3(1336)年、足利尊氏が政権に反旗を翻し建武の乱が起こりました。貞戴は尊氏を討伐すべく新田義貞側に付いていましたが、箱根・竹ノ下の戦いで寝返ってしまいます。結果、尊氏軍が勝利。その後、降伏を装って尊氏を暗殺しようとした結城親光も、貞戴が討ち取っています。
まさに大功労者だった貞戴に、尊氏が恩賞として与えたのが吉光でした。当時の立花家にとってはとてもグレードが高い刀剣で、以来立花家の家宝として受け継がれてきました。しかし貞戴から数えて7代目の鑑戴(あきとし)が、主君大友宗麟に反旗を翻します。」

初代貞戴からの立花氏の系図。7代鑑戴までの間、吉光は家宝として受け継がれてきましたが・・・

植野「その鑑戴を討ったのが、冒頭で紹介した戸次道雪です。道雪が立花山城に入り、立花の名跡と、吉光を受け継いだのではないかと考えられます。」

吉光はのちに国宝に指定されていますが、他の吉光との違いとは?

植野「数ある吉光のなかでも、ずば抜けた美しさがあります。他の吉光の刀には“●●藤四郎”といった呼び名がついていますが、残念ながらこの吉光だけ号がありません。“立花家の吉光”として覚えていただきたいですね。」

宗茂が実父から譲られた、重要文化財 長光

続いては、宗茂と関わりの深いことで知られる重要文化財「剣 銘 長光」についてのお話です。

植野「長光については、有名なエピソードが残っています。宗茂が養子にでる前日、父・紹運から『今後、自分のことを父とは思わぬよう。少しでも未練があったら、帰るところはないからこの刀で自害せよ』と渡された刀が、この長光でした。宗茂は長光を父の形見として大切にし、明和4(1767)年に作成された『御腰物由来覚』のなかでも、宗茂が特別大事にしていたと記されています。」

宗茂の愛刀ですから、それは大切に受け継がれてきたのだろう・・・と思いきや、実はその後、意外な展開が。

植野「2代忠茂が、9男の虎重にあげちゃってるんです(笑)忠茂は跡継ぎでない子に次々と刀を譲っていたため、一度立花家から離れてしまった刀が多くあり、江戸中期に一斉に戻されています。長光は、虎重が養子に入った矢島家に移り、その後、立花家に戻されました。」

今となっては、そんな大事な刀を・・・!と思ってしまいますが、自分の父親や祖父が大事にしていた宝の価値といわれても、よく分からないかもしれませんね。
そして長光と同様、忠茂は雷切丸も息子に譲っていたのだとか。

雷を斬った?謎多き刀、雷切丸

立花家の刀剣のなかでも特に注目されているのが、“雷を斬った”という伝説を持つ雷切丸です。

植野「雷切丸は、日本刀として高い評価をうけているわけではありませんが、ストーリーが圧倒的に面白く、人気の刀です。
戸次道雪が昼寝をしていたところ落雷があり、枕元にあった太刀 千鳥で雷を斬ったというエピソードですね。その後、“雷切丸”に改名されたといわれています。“雷切”と呼ばれることもありますが、立花家の記録では“雷切丸”です。

雷切丸も、道雪から宗茂、そして忠茂へと受け継がれ、6男茂辰に譲られました。茂辰が亡くなった後、危うく払い物にされるところを、立花家の重臣・矢島石見が引き取ります。その後、やはり立花家に戻されました。」

立花家の家臣団や、ゆかりの人々との関係について、詳しくは大河ドラマ招致ポータルサイトをご覧ください。

もともとは太刀だったという雷切丸ですが、摺り上げられて現在は脇指となっています。そのため、太刀だった時はどのくらいの長さだったのか、本当に雷を斬った跡があるのかなど、その見方についても質問が多く寄せられました。
そこで今回は特別に、展示中の刀剣の前で学芸員さんから質問にお答えいただくことに!

植野館長が展示室に移動されている間、スペシャルゲストとして、雷切丸くんこと立花家史料館エデュテーナー・山川源太さんも登場してくれました。

雷切丸の活動やグッズの宣伝もしてくれました。突然の無茶ぶりに笑顔でお応えいただき、ありがとうございました!

ミュージアムキャラクター「立花雷切丸」(ときどき忠茂)として、毎週土日に立花家史料館にて演舞を行っている山川さん。ライブ配信も行っているので、遠方の方もご覧いただけますよ。

開催中の特集展示風景を生中継!

そしてウェビナーの舞台は史料館へ。展示資料室から、学芸員の坪内さん自らカメラを回してくださいました。
参加者にも大変好評だったので、その模様を少しだけ写真でご紹介します。

展示室を入ると・・・
すぐ右手に登場したのが、雷切丸です。

トップバッターは雷切丸の展示です。磨りあげられる前、太刀だったときにはもっと反りがあったとみられます。焼けた跡についての質問もありましたが、残念ながら定かではないそうです。

そして展示室を進んでいくと・・・いました、こちらが長光です。

宗茂が父から譲り受けた長光

エピソードを知ると、紹運が息子・宗茂にあえて“剣”を選んだ理由を想像してしまいますね。長光のほかにも、宗茂の勝負刀は二振り展示されており、当時はまだ実用重視だったことがわかるとのことです。

そしてトリには国宝の吉光が登場!

カメラ越しでも輝いていましたが、実物に勝るものはないでしょう。。

これらの刀剣に関する質問への回答だけでなく、宗茂の刀と伝わる波游ぎ兼光に関する話など、時間ギリギリまでお答えいただきました。
時間が足りない、もっと見たいと思われた方、続きは立花家史料館で実物をご堪能ください。撮影もOKということなので、ぜひあなたがいちばん美しいと感じる姿をおさめてくださいね。

立花家史料館 特集展示「刀を見る、伝来を知る -柳川藩主立花家伝来の刀剣-」

  • 会期: 2020年6月2日(火)〜9月27日(日)
  • 開館時間: 11時~15時
  • 休館日: 毎週月曜日
  • 会場:立花家史料館(福岡県柳川市新外町1 国指定名勝 立花氏庭園内)

お家でも楽しめる!立花家史料館コンテンツ

Youtube配信をはじめとしたSNSの活用、エデュテーナーによるミュージアムキャラクター「雷切丸」の宣伝活動やグッズ展開など、様々な手法で立花家の歴史を楽しく分かりやすく発信している立花家史料館。
博物館や史料館はまだまだ写真撮影も厳しいところが多いなか、とても先進的な運営をされているのは、植野館長のお人柄と行動力があってこそだなと感じました。
植野館長、そして立花家史料館の皆様に、心より感謝申し上げます。

ウェビナー参加者の感想は「#立花家オンライン」で

本イベント開催にあたり、グッズの特別パッケージも販売いただきました。
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