明智光秀が接待を任された安土饗応膳
天正10(1582)年5月、武田勝頼征討の功績を讃え、 徳川家康と穴山梅雪を安土城でもてなした織田信長。5月15~17日の3日間にわたり、計4回140品もの豪華な料理をふるまったといいます。
「本能寺の変」の一因になった?
その接待役を任されたのが明智光秀でした。光秀は大阪や堺、京都などから山海の美味珍味を取り寄せたとされています。
しかし17日、光秀は突然接待役の任を解かれました。そのことから、このとき出した魚が生臭いと信長に叱責されたことが、直後に起こった本能寺の変の一因だったのではという説があるのです。
そんな逸話の残る安土饗応膳、歴史好きならどんな料理だったか気になりますよね。安土城にほど近いリゾートホテル休暇村近江八幡さんでは、なんと当時の料理を再現かつ現代風にアレンジした「信長饗応膳」が食べられるということで、安土に行ってまいりました!
いざ実食!豪華すぎる「信長饗応膳」
「信長饗応膳」メニュー
- 本膳…蛸/鯛の焼物/鮒寿司/鯉の汁/香の物/ご飯
- 二の膳…宇治丸/ホヤの冷汁/貝アワビ/鱧
- 三の膳…焼き鳥/かざめ
- 四の膳…巻きするめ/しきつほ/椎茸
- 五の膳…お造り(鯛、烏賊、鰤)生姜酢/鴨の汁
- 台物…近江牛すき焼き/丁子麩/赤蒟蒻
- 御菓子…求肥餅/豆飴
こちらが休暇村近江八幡で再現された「信長饗応膳」です。当時の献立を記録した天正十年安土御献立をもとに、家康たちの到着後すぐに出された「をちつき」という昼御飯を現代風に再現したものだそうです。
当時出していた全33品のなかから21品と、現代風に近江牛のすき焼きが追加された、とっても豪華な御膳。今回は夕食としていただきましたが、この品数を昼からいただくなんて、めちゃくちゃ豪勢ですね。
家康の好物・鯛も!食材から垣間見える信長の気遣いと権力
左中断:鱧、左下:椎茸、左中:ホヤの冷汁、右下:宇治丸(鰻)
こちらの膳には、家康の好物である鯛の焼き物などが盛り付けられています。他の膳にも鯛が付けられていたそうで、家康への細かな気遣いやおもてなし精神が感じられますね。
また、写真右下は宇治丸という、うなぎを筒切りにしてタレ醤油でやきあげたもの。名前の“宇治”は、京都の宇治川で獲れたものを使ったとされているからだそうです。
なかでも注目は、ホヤの冷や汁。東北地方でしか獲れないホヤを安土まで取り寄せることができたという点に加え、当時貴重だった「氷」で冷やすことによって、信長の権力を見せつけた一品だといえます。
こちらは琵琶湖の特産品・鮒寿司と焼き鳥。焼き鳥は、当時ひばりやすずめだったのではとみられています。上の小皿は調味料の生姜酢で、当時は塩・酢・醤(ひしお=味噌の上澄み)という醤油の原型となったもののほか、砂糖もあったそうです。
立身出世の象徴とされ、鯛より貴重だった鯉の汁物。初めて食べましたが、臭みもなく美味しい!ほかにも鱧やがざめ(カニ)など、本当に山海の美味珍味が集められており、現代であっても豪華なラインナップでした。
これだけの食材を安土城に集めるのは、さぞ大変だったでしょうね…。
安土史跡巡りの宿泊におすすめ
安土饗応膳や安土城について詳しく知りたい方は、安土城天主 信長の館もおすすめです。安土の史跡めぐりに訪れる際には、ぜひ休暇村近江八幡に宿泊してはいかがでしょうか。
信長が家康をもてなした「天下人の会食・安土饗応膳」を再現!歴史ロマン懐石「信長饗応膳」
期間: 2019年12月1日~2020年7月17日 ※要予約、1日限定10食の特別コースです
※現在は終了しています。
所在地:〒523-0801 滋賀県近江八幡市沖島町 宮ケ浜
アクセス:JR「近江八幡駅」から近江鉄道バスで約43分、または無料送迎バス(※要予約)「休暇村近江八幡」バス停下車すぐ