福岡市博物館にて2019年9月7日(土)~11月4日(月・振休)に開催される特別展『侍~もののふの美の系譜~ The Exhibition of SAMURAI』(通称『侍展』)。 全国各地から集められた貴重な甲冑・刀剣が一堂に会する特別展として注目されています。
豪華な展示品のなかでもゲームで人気の刀剣に話題が集まりがちですが、本展の見どころはそれだけではありません。そこで今回、もっと『侍展』の楽しみ方を知っていただくべく、福岡市博物館の担当学芸員・堀本一繫さんによる予習講座を東京で開催。東京では初めてという貴重な講演の模様をレポートします。
実戦のなかで進化した甲冑・刀剣の変遷をあわせて見てほしい
堀本「この『侍展』は、甲冑と刀剣を両方合わせて見るということが一番のポイントです。最近の展覧会では、刀だけ、甲冑だけが美術的な観点で展示されることが多いですよね。けれど、刀剣も甲冑も戦いの変化に応じて共に変化してきたものです。甲冑は敵にやられないように身を守るためのものであり、刀や弓・槍は相手をやっつけるためのもの。攻める道具によって守る道具も変わっていく、お互いの進化を知ってほしいと思っています。」
なぜ“関ヶ原の戦いまで”なのか?
堀本「今回展示する甲冑と刀剣は、主に平安時代中期から関ヶ原の戦いまでのものです。江戸時代に入ると、大坂の陣や島原の乱をのぞき、合戦はほとんどなくなります。使う機会が減ったことで、甲冑や刀剣は徐々に見栄えを重視するようになっていきました。『侍展』では、あくまでも戦いのなかで進化してきた武具に限定し、戦いが事実上の終わりとなる関ヶ原の戦いまでのものを展示しています。」
とはいえ、知識がなければ刀剣も甲冑も、なかなか見方が分からないものですよね。そこで予習講座では、時代ごとの戦い方やそれに合わせた甲冑・刀剣の関係性と変化について、『侍展』の展示品を挙げながらわかりやすく解説いただきました。
馬に乗り弓矢で戦った平安中期~鎌倉時代
堀本「平安時代や鎌倉時代の戦い方は、弓射騎馬による集団戦でした。主な武器は弓で、この戦い方にあわせてうまれた甲冑が大鎧です。
騎射戦では馬に乗ってあらゆる方向に矢を射るため、大鎧は体を動かしやすいよう肩でぶらぶらと吊り、腰回りにわざとゆとりをもたせています。手綱を握る右手を馬手(めて)、弓をもつ左手を弓手(ゆんで)といい、大鎧は馬手側の隙間から着ます。攻撃を受けやすい弓手側は防御を固めるため一続きにしてあります。
『侍展』では、国宝の小桜韋黄返威鎧(広島・嚴島神社蔵)を前期で展示します。上級武士が着ていたこのような大鎧は、胴だけで約20キロほどあります。盾を持てないので袖が盾替わりになっていましたが、袖や兜だけでも2、3キロ。戦場で、重く通気性の悪い甲冑を着ていた武士はへとへとです。それに比べ、桃山時代に豊臣秀吉が伊達政宗に贈った甲冑は、胴が3.6キロほどと非常に軽い。甲冑は戦いのなかで、どんどん軽く動きやすくなっていきます。」
日本刀の成立、天下五剣のひとつ“大典太光世”も
堀本「また、平安時代には日本刀が成立します。もともと中国から伝わった刀は直刀で反りがありませんでしたが、日本刀の特徴は反りと鎬筋(しのぎすじ)があるという点です。
ぱっと見るとどれも真ん中が反っているように見えますが、時代によって反る部分が変わります。茎(なかご)をまっすぐ立ててみると、 豊後国行平作は茎のすぐ上で曲がっていますよね。このように、平安~鎌倉時代の刀は、茎に近いところで曲がり、手元に近い元幅から先幅が細くなる先細りタイプが主流です。
平安後期の太刀で『侍展』でも注目されている刀が、天下五剣のひとつ・大典太(おおてんた/東京・前田育徳会蔵)です。大典太光世とも呼ばれ、三池(現在の福岡県大牟田市三池)の刀工・三池典太の銘が入った刀でもっとも古く、いちばん良い刀だといわれています。元幅が先幅とあまり変わらず太いのも特徴です。九州での展示は初めてということで、『侍展』では初の里帰り展示としています。今回の展示を見逃すとしばらく展示予定がないそうですので、お見逃しなく(笑)」
鎌倉時代の刀としては、ほかにも日光一文字(福岡市博物館蔵)や、姫鶴一文字(米沢市上杉博物館蔵)なども展示されます。
堀本「福岡市博物館では毎年お正月に圧切長谷部を展示し、その後日光一文字を入れ替わりで展示していますが、残念ながら入れ替えると客足が途絶えてしまいます(笑)どうしてもゲームでキャラ化されているかどうかで注目度が変わるようですが、刀の出来としては日光一文字の方が良いんですよ。『侍展』では圧切長谷部も日光一文字も両方展示しますから、この機会にあわせてご覧になってください。」
日光一文字のビューポイント! 全体に焼きが広がった皆焼の圧切と異なり、日光一文字は刃中に華やかな重花丁字の刃文が煌めいています。腰元には備前刀の特徴、映りが見えます。霞がたなびくようなうっすらとした映りが黒い地のなかに延びています。華麗な刃文をご堪能下さい。#福岡市博物館 #侍展 pic.twitter.com/FV72pXOrUQ
— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) February 7, 2019
徒立ちの打物戦となる南北朝時代
堀本「南北朝時代になると、城などの拠点に籠って戦うことが増え、馬から降りて徒立ちで戦うようになります。そうすると大鎧では重いし動きづらい。甲冑は体にフィットしているほうが戦いやすいので、上級武将は鎌倉時代に徒立ちの従者が着ていた腹巻に袖と兜をつけて着るようになります。
桃山時代に腹巻と胴丸の呼び方がひっくり返るので分かりづらいですが、この時代の甲冑として展示するのが、紺糸威胴丸(岡山・林原美術館蔵)です。兜に大袖、杏葉といわれる肩パット的なものもありますね。このように、刀で斬られるのを防ぐため隙間を埋めるパーツも付けられていきます。こうして腹巻は高級化し、より軽快な胴丸が登場します。」
目下、ポスターとともに侍展の本チラシを作成中です。3月下旬以降の配布予定です。今ある3色は仮チラシでした。B2ポスター付き前売りチケットは好評販売中です! 販売は3/31まで。会期中の販売はありませんので、この機会にお求めください。#福岡市博物館 pic.twitter.com/9EDS0hVeNb
— SAMURAI2019 (@SAMURAI_2019) January 14, 2019
堀本「一方、刀剣はどう進化したかというと、南北朝時代には重量感のある刀が登場します。徒立ちの戦いになると、打物戦、つまり刀で相手にダメージを与えようとするからです。
そのひとつ、国宝の大太刀 備州長船倫光(栃木・日光二荒山神社蔵)は『侍展』で展示するなかでもいちばん大きい刀です。切っ先から茎尻までなんと159センチ。誰かに手伝ってもらわないと、ひとりでは抜けません。こんなにでかくて重い刀をどうやって…と思うんだけど、当時は振り回していたんでしょうね。」
堀本「ほかに、江雪左文字や太閤左文字(ともに国宝、ふくやま美術館蔵・小松安弘コレクション)、義元左文字(京都・建勲神社蔵)といった左文字の刀も展示します。左文字は南北朝時代に博多で活躍した刀工です。こちらもゲームの影響で江雪左文字が人気ですが、実はいちばん出来が良いのは太閤左文字です。」
足軽登場!総力戦となる室町・戦国時代
堀本「室町・戦国時代になり、足軽や雑兵が多くなると、コストや手間のかからない簡単なつくりの腹当という鎧があてがわれます。また、南北朝に上級武士が着るようになった胴丸も高級化していきます。『侍展』のチラシに掲載している白檀浅葱糸威腹巻(大分・柞原八幡宮蔵)などもこのタイプです(※途中で腹巻と胴丸の呼び方が取り違えられるため、腹巻となっている)。右引き合わせの大鎧や腹巻と違い、背中で引き合わせる仕様で左右対称になります。」
来秋、特別展「侍 ~もののふの美の系譜~ The Exhibition of SAMURAI」を開催! 展覧会公式サイトを開設しました。https://t.co/PuhdTB1K5T pic.twitter.com/0sAPGUHgVM
— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) October 11, 2018
兜・大袖付(大分・柞原八幡宮蔵)。左右対称がゆえに、よーく見るとあることに気づくかも…?
堀本「室町時代になると刀は短くなり、扱いやすい打刀が流行します。戦国時代の刀として展示するのが、織田信長が黒田如水(官兵衛)に授けたことで知られる圧切長谷部(福岡市博物館蔵)です。圧切長谷部は切っ先が大きいのが特徴ですが、これはもともと長かったのを短く打刀に替えているから。尻のところを切って丸く加工し、棟のほうをけずって反りを浅くしています。だからこの長さにしては切っ先が大きいのです。」
圧切長谷部のビューポイント!全体に焼きがちりばめられた皆焼(ひたつら)の刃文が見事です。今年はガラス面に黄色のシールを貼ってます。このあたりに目線をあわせオレンジ色の天井灯が刀身にあたるようにみると、黒っぽい地のなかにうかぶ焼きがくっきり見えます!ぜひお試し下さい。#福岡市博物館 pic.twitter.com/2USmCPnN5K
— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) January 5, 2019
合戦が繰り広げられた最後の時代
堀本「そして戦国末期から桃山時代には当世具足が登場します。『侍展』では、福岡市博物館で所蔵している黒田長政の一の谷形兜・黒糸威五枚胴具足や、豊臣秀吉が伊達政宗に贈った銀伊予札白糸素懸威胴丸具足などを展示します。大鎧から当世具足までを比較すると、ずいぶん軽くなり、胴まわりも締まってきていることがわかりますね。
基本的には軽く進化する甲冑ですが、例外もあります。伊達家中が着ていた雪下胴は10キロほどと、この時代の甲冑としては重い。鉄板を5枚つないでいるので重さはありますが、すぐに解体し持ち運べるとても簡単なつくりになっているのでのです。
このように、甲冑は戦い方にあわせて機能的に進化してきました。一見似たようなものが並んでいるなと思うかもしれませんが、『侍展』で時代ごとの違いを見比べてみてください。」
人気の刀剣にまつわる裏話も
講座では、人気の刀剣にまつわるエピソードや、近年の刀剣ブームの裏話もお話してくれた堀本さん。中の人だからこそのリアルな情報に、参加者も興味津々。また、福岡市博物館で所蔵している圧切長谷部について、近年誤解され広まりつつある名前の由来もお話しいただきました。
“棚切”ではなく圧切長谷部
堀本「近年、圧切長谷部について“棚の下に逃げた茶坊主を、棚ごと切った”刀と言われることがあります。しかし、それでは圧(へ)し切の意味がない。正しくは“棚の下に差し込んで、茶坊主に押し当てて切った”のです。
そもそも刀とは、振り下ろして引き切るもの。料理で包丁を使うときも、切れない包丁では押し当てるだけで切れず、引いて切りますよね。しかし圧切長谷部は、引き切りしなくても押し当てただけで茶坊主が切れた。だから圧切長谷部なんです。棚ごと切った、だと棚切長谷部になってしまいます(笑)」
圧切長谷部は棚を切っていない!信長が茶坊主を手討ちにする際、膳棚の下にもぐりこまれ刀を振り下ろせなかったため、棚の下に刀を差し入れ押し当てただけですっと切れたという鋭い切れ味を表現。巷間言われる「棚ごと切った」では、ただのよく切れる刀となり、圧切の意味をなしません。#福岡市博物館 pic.twitter.com/KaqYpSN8Gt
— 福岡市博物館 (@fukuokaC_museum) January 23, 2019
実は曖昧?刀剣の由来
堀本「ほかにも、福岡市博物館で所蔵している大身槍 日本号については“正三位”なんていわれますが、いつから誰が言い出したのかわかりません。福島正則が秀吉からもらった以前のことはよくわかっていないのです。
物吉貞宗や姫鶴一文字も、名前の由来について様々な逸話がありますが、実は根拠はないそうです。刀はわからないことの方が多く、まだまだ研究する余地がたくさんあります。
ちなみに『侍展』で日本号は、刀剣乱舞で声を担当している声優・津田健次郎さんによるイヤホンガイドとして実家でお出迎えとなります(笑)」
歴史的変遷を知れば「侍展」はもっと楽しめる!
戦うことを目的に、合理的に進化してきた甲冑と刀剣。刀剣だけでなく、その時代の戦い方を知り、甲冑とあわせて見ることで『侍展』は何倍も楽しめるはずです。この秋、『侍展』で刀剣・甲冑の新たな楽しみ方を見つけてください。
『特別展 侍 ~もののふの美の系譜~The Exhibition of SAMURAI』
開館時間: 9時30分~17時30分 (入場は17時まで)
休館日:毎週月曜(祝日の場合は翌平日)
会場:福岡市博物館(〒814-0001 福岡市早良区百道浜3-1-1)
・福岡市博物館HP
・侍展公式サイト
・侍展Twitter
・侍展Facebook
・侍展Instagram
・侍展チラシ
http://museum.city.fukuoka.jp/exhibition/pdf/samurai.pdf
・出品予定リスト
https://samurai2019.jp/outline2.html
2019年9月7日より福岡市博物館で開催されている特別展『侍~もののふの美の系譜~ The Exhibition of SAMURAI』(通称『侍展』)。来場者数6万人を突破し連日賑わいを見せているなか、レキシペリエンスは贅沢にも9/2[…]