お城に住みたい?住みたくない?
木で作られた現存天守や櫓を見て、「この中で暮らしてみたい」と思ったことのある人、いませんか?
僕はあります。実際、犬山城や備中松山城の天守には、城主とその家族のための部屋が用意されています。
なので、現存天守や櫓を訪れたら、その中で生活する様子を妄想してみましょう。
ん? 何だか、薄暗いですね。それに、階段が急です。現存天守で階段の上り下りに苦労した経験のある人、少なくないと思います。
それに、よく見ると広い割にはトイレがありません。姫路城の天守にはトイレが残っていますが、地下です。もし、天守の上の方の階でもよおしたら、地下まで急な階段をいくつも下りなくてはなりません。トイレのない天守なら、いちいち外に出ることになります。お風呂も、ないですよね。
お城で「殿様暮らし」はできない
なぜ、そんなに不便かというと、天守や櫓は戦うための建物だからです。鉄砲の弾が飛びまないよう、窓は少なめ・小さめに作り、万一、敵が侵入した場合に備えて、階段も急に作ってあるのです。とても「殿様暮らし」は無理です。
城主が暮らしていた御殿とは
そのため、城主やその家族が暮らすがふだん暮らすための御殿は、別にありました。御殿が残っている城として有名なのは、京都の二条城です。
国宝!二条城の二ノ丸御殿
二条城には、とても立派な国宝の二ノ丸御殿が残っています。ただし、この城は徳川将軍家が上洛したときの宿泊用に造った城です。
徳川家康は、本能寺の変で織田信長があっけなく討たれたのを見ていましたから、京都の街の中心部に自前のしっかりした城をキープしなければ、と思ったのでしょうね。なので、二条城が実際に使われたのは、江戸時代の最初の頃と幕末だけです。その意味では、城主が日常生活を営む御殿とは、ちょっと建物の性格が違います。
資料に基づいて復元された名古屋城の本丸御殿
また、名古屋城には最近になって、本丸御殿が復元されました。第2次大戦の空襲で焼けてしまった御殿ですが、さいわい写真や図面がたくさん残されていたので復元することができたのです。
ただし、この御殿も将軍の宿泊用で、城主(尾張徳川家)が住む御殿ではありません。もともと名古屋城は、豊臣方と戦争になった場合に、徳川軍が集結する基地として築いた城だったからです。
城主が実際に暮らしていた御殿は現存する?
城主と家族が実際に生活したり、政務を執ったりしていた御殿が残っている城は、とても少ないのです。
佐賀城や柏原陣屋(かいばらじんや/兵庫県)、伊豆木陣屋(いずきじんや/長野県)などに御殿の一部が残っていますが、あまり知られていません。
僕がおすすめするのは掛川城です。幕末の建物ですがホンモノだし、二条城や名古屋城とちがって、観光客もさほど多くありません。行列することなく、ゆっくりと見学できます。自分が殿様や家臣になったつもりで、部屋の中を歩いてみたり、床に座ってみたり、縁側から外を眺めたりしてみましょう。
地味だけど普段使いのリアルさが感じられる番所も注目
それから、江戸城や二条城などには番所の建物が残っています。御殿とはちがいますが、これも普段使いの建物ですね。掛川城に残っている番所は民家のような粗末な建物ですが、その分、下っ端のお侍や足軽が本当に出てきそうなリアルさがあって、僕は好きです。
御殿や番所のような建物は、天守や櫓に比べると知名度は低いのですが(二条城を除く)、城内の日常生活を感じられる場所という意味では貴重です。観光客もあまりいないので、ゆっくり見学しながら、妄想を膨らませてみるのも楽しいものですよ。
(写真・文/西股総生)