近世城郭とはザックリいうと、天守や石垣を備えた城のこと。普通の人が「お城」と聞いて、パッとイメージする情景の城です。
このスタイルは、安土城あたりから始まって、織田信長・豊臣秀吉の統一事業にともない全国に広まっていったもの。
なので、信長が安土城を築くより前、あるいは信長・秀吉と同じ時代でも、彼らの支配地域の外には、別のスタイルの城が築かれていました。それは、高く積まれた石垣も、壮麗な天守もない、土でできた城です。
日本の城の9割以上は、地味~な土の城
土の城は、まず敵を防ぐために堀を掘り、掘った土を積み上げて土塁(どるい)という防壁を築きます。あるいは、斜面を削り落として切岸(きりぎし)という人工の崖を造ったりします。地味、ですね(笑)。
でも、天守や高石垣を備えた近世城郭の数は、せいぜい千か2千くらい。それに対して、土の城はざっと4万~5万。日本全国に残っている城の、なんと9割以上は地味な土の城。ビジュアルのすぐれた近世城郭の方が、実はマイノリティだったのです。
土の城にこそ詰まっている、戦国武将たちの切実な思い
ですから、戦国武将たちもみな、地味に土の城を築き、そこに暮らし、命がけでしがみついていました。太田道灌も武田信玄も上杉謙信も、浅井長政も毛利元就も伊達政宗も。若き日の信長・秀吉だって、明智光秀だってそうです。
戦国時代の土の城は、見栄えがしません。なので、たいがいの人は「見に行ってもつまらないだろう」と思いこんでいます。よく整備された城は、ただの公園と変わりがなさそうだし、整備が行き届いていない城は、ただの山か雑木林にしか見えないし…。
でも、考えてもみて下さい。なんたって、戦国時代なのですよ。最前線では明日、いや、それどころか今夜、敵が攻めてくるかもしれません。武将たちの住む屋敷だって、家臣の誰かが、急に謀反をおこすかもしれないのです。
手間ヒマかけて、立派な城を築いている余裕なんてありません。どんな堅固な城だって、完成する前に敵に攻められたら、築く意味がないでしょう? あり合わせの手近な材料を使って、どうにか敵を防げるような仕組みを、大急ぎで造らなければならないのです。
戦国時代の土の城は、本当はつまらないわけ、ないんです。だって、武将たちが必死に築いて、命がけで守っていた場所なんですから。そこには、何とか敵を食い止めたいという、切実な思いが詰まっています。その切実さは、「なるほど」と感心する現実的な工夫になり、時にあっと驚く巧妙な仕掛けを生み出しています。
城に興味を持ったなら、土の城も訪れてみて
せっかく城に興味を持ったのなら、時には土の城にも足を運んでみませんか? 自分の足で歩いてみると、武将たちが何を考えて、どんな気持ちで生きていたのか、戦いの様子はどうだったのか、実感が湧いてきます。第一、日本の城の9割に見向きもせず、最初から捨ててかかるなんて、もったいないでしょう?
土の城を歩いて面白い、楽しいと思えるようになれば、城の世界が一気に広がります。あなたのお城ライフ・歴史ライフは、確実に変わるのです。
というわけで、次回はビギナーさん向けに、土の城の面白さを見つける方法をお教えしましょう。戦国時代がぐっとリアルに感じられること、請け合いです。
(写真・文/西股総生)