年始の恒例行事ともなっている七福神めぐり。皆さまも体験したことがあるかもしれません。実は、この七福神めぐりはとても日本的なもの。今回は、七福神と七福神めぐりの奥深さについてご紹介します。
実は奥深い!人気の七福神めぐりと七福神の由来
七福神に当てはめられているのは、
- 恵比寿神
- 弁才(財)天
- 毘沙門天
- 大黒天
- 布袋尊
- 寿老人
- 福禄寿
であることはお馴染です。この信仰は、古代からの神である恵比寿神と大黒天が 平安から鎌倉頃に合わせられ、その後、弁才(財)天や毘沙門天が加わり、室町時代末期頃に七福神として定着しました。
なぜ“七福神”なのかというと、中国大陸からの「七難即滅、七福即生」、「竹林の七賢」といった「七」の数字を起源とした教えが日本流に解釈されたと考えられます。
豊作・大漁・商売繁盛・長寿のご利益が代表的であったことから、農民や漁民、商人の層を中心に広まったようです。
せっかく七福神めぐりをするなら、まずは七福神それぞれの由来と御利益を知っておきましょう。
恵比寿神
まずは、七福神の代表・恵比寿神。七福神の中で、唯一日本古来の神です。「伊耶那岐命(いざなぎのみこと)」、「伊耶那美命(いざなみのみこと)」の子「蛭子命(ひるこのみこと)」、または「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の子「事代主命(ことしろぬしのみこと)」とされています。
大国主命というと、出雲大社に祀られた「国津神(くにつかみ)」の一人として「天照大神(あまてらすおおみかみ)」などの「天津神(あまつかみ)」に国土を譲る、「国譲り」の神話が有名ですね。
古代の狩衣を着て、手には福の象徴である鯛と、福を釣り上げる釣竿を持つ姿で表わされていますが、これは七福神における恵比寿神の姿です。
大黒天
次は大黒天です。「天」が付くのはインド由来の神仏になります。仏教色が強い神仏で、インドのヒンドゥー教のシバの化身・マハーカーラが変化して日本に入ってきました。「だいこく」という読みが重複することから、日本神話の「大国主命」として当てはめられています。
また、平安時代の僧・最澄が、比叡山において台所の護りとして大黒天をおいたことは有名です。今は東京国立博物館に収蔵されており、しばしば常設展示に出ています。
穏やかかつ豊かな姿で、打ち出の小槌と大きな袋を抱え俵の上にいる姿で知られています。しかし、元々は戦いにめっぽう強い、猛々しく勇ましい神でした。それが、前述の様に日本に入り大国主命に当てはめられたため、現在のよく知られた姿で表される様になったのです。
ちなみに、豊川稲荷やその系列の稲荷社に祀られている「荼枳尼天(だきにてん)」は元々は悪神でしたが、大黒天に成敗されて良い神様になったという神話もあります。
主な御利益は、五穀豊穣、子孫愛育、出世開運、商売繁盛などです。
弁才天
次に、弁才天です。こちらもヒンドゥー教の神・サラスヴァティを起源とし、仏教に取り込まれた神仏です。日本神話の神としては市杵島媛命(いちきしまのひめみこと)が弁才天とされ、厳島神社では「宗像三神」として祀られています。
琵琶を持った優雅な姿が一般的ですが、これは後から生まれた姿。水の神として頭上に「宇賀神(うがじん)」を戴いていたり、手が八本あって、それぞれ武器を持っていたりする「宇賀弁才天」「八臂弁才天」という勇ましい姿の弁才天もあります。
古来、水のあるところによくお祀りされているので、昔の地形の参考にもなります。目黒の目黒不動瀧泉寺では恵比寿神とともに弁才天も祀られていますが、やはり池が隣接しています。
「弁才天」「弁財天」といった表記は比較的新しく、本来は「辯才天」(言語の才)「辨財天」(財をおさめる)と表記されていました。「えびす」もしかりですが、「べんざい」も音がありきの名前なのかもしれません。
主な御利益は、学業成就、諸芸上達、恋愛成就、福徳授与などです。
毘沙門天
毘沙門天も弁才天と同じく、インドから中国を経由して日本にやってきました。インド神話の「クベーラ」という神から「ヴァイシュラバナ」という神になり、当時の中国語で「びしゃもん」と変化したようです。仏教で東西南北の方角を護る四天王のうち、北を護る「多聞天」が独立したのが毘沙門天です。
七福神で唯一、鎧兜に武器と宝塔を持ち戦支度をした勇ましい姿です。上杉謙信を始め、多くの戦国武将からも崇拝されましたが、本来は福や富の神様でした。現在の姿は、多聞天と同一視されたことによるものではないでしょうか。
主な御利益は、武芸上達、降魔厄除、家内安全、夫婦円満などです。
布袋尊
布袋尊は、唯一実在の人物とされ、布袋和尚といわれることもあります。唐の時代の僧・契此(かいし)がその人物で、弥勒菩薩の化身であるなど不思議な逸話を多く残す、伝説的な僧です。釈迦の弟子である十八羅漢の一人でもあります。
施し物はなんでも受け、大きな袋として背負っていたことがその名の由来です。この袋は「堪忍袋」としても知られています。ちなみに、よく手に持っているのは軍配ではなく、うちわです。日本では、鎌倉時代に禅の画題として入ってきて、世に広まることになりました。後世の資料では禅僧となっているものが見られますが、戒律の特に厳しい禅宗において、あのふくよかな体つきは不自然にも思えます。
主な御利益は、千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛などです。
寿老人
寿老人は、中国の道教における神、仙人です。南極、老人星とされるりゅうこつ座のカノープスの化身であるとされています。北半球の中国大陸からは今の南極星は見えない為、これが当てはめられています。
不死の薬の入った瓢箪をもっていたり、長寿と自然を表わした鹿を連れていたりしますが、もっとも多いのは杖やうちわ、巻物を持った姿でしょうか。
興味深い事に、目黒周辺の元祖山手七福神では、北斗七星の妙見菩薩を祀る妙圓寺に祀られています。なので、南北の極の星が同じ寺にあるのです。
主な御利益は、幸福長寿、家庭円満、健康延命、福徳智慧などです。
福禄寿
福禄寿も同じく道教において祀られる神であり、道教で追求される「幸福」「封禄(富)」「健康長寿」を具現化した姿になります。また、宋の時代の道士である天南星の化身とも、南極老人ともされています。
寿老人と福禄寿はともに天体に関わりが深いのが興味深いところです。寿老人と似ているため、どちらかが七福神からはずされてしまったり、同一に祀られていたりすることもあります。
福禄寿の特徴は長い頭になりますが、もしかしたら知恵や知識の信仰もあったのかもしれません。
主な御利益は、財運招福、健康延命、立身出世、招徳人望などとされています。
江戸時代から人気の七福神めぐり
これらの神仏が、時にそれぞれ、時に一つの寺社に祀られており、それらを巡礼するのが七福神めぐりです。
この七福神めぐり、お祀りされているのが寺院だったり神社だったりするのを不思議に感じませんか?
なぜかと言うと、まだ神社と寺院が一体であった明治時代以前に神仏が一緒に祀られていた、いわゆる「神仏習合」の姿が残っているのです。
江戸時代半ば、富士山信仰や庚申信仰などと共に、七福神めぐりは爆発的に広まりました。寺社や町としても、七福神めぐりの対象となれば多くの参拝客が訪れるため、ありがたかったことでしょう。授けられる御朱印や神仏像、絵馬などの頒布品は、きっと原案を作ったプロデューサー的な存在がいたはずです。
一説には江戸時代の初め頃、徳川幕府のブレーン・南海坊天海が、徳川家康に七福神信仰(恵比寿天が人望・弁才天が愛矯・大黒天が福・毘沙門天が威光・布袋尊が清廉潔白・寿老人が健康長寿・福禄寿が度量)を説いたことをきっかけにブームとなった説もあります。
「八福神めぐり」もある
また、比較的新しい信仰の姿として、末広がりで縁起がいいとされる八福神を祀るところもあります。八柱目は、吉祥天やお多福、達磨など、様々な神や民間信仰の対象が当てはめられています。ちなみに、吉祥天は毘沙門天の妻とされる仏で、インドにおけるラクシュミーという神に当たります。
七福神でも、寿老人と福禄寿が同一視されて代わりに違う神仏があてはめられるなど、地域によって取り合わせが異なっている場合があります。個性豊かな出自・来歴を持ち、神あり仏あり、僧あり仙人ありの七福神は、多くの宗教を取り込んできた日本の信仰のあり方をよく表わした縮図とも言えますね。
東京都内で人気の七福神めぐり
全国各地でたくさんの七福神めぐりが行われており、東京都内でも多数展開されています。なかでも、江戸で最も古いとされている七福神めぐりは目黒から白金周辺の「元祖山手七福神」と、谷根千でおなじみの「谷中七福神」の二つです。
都心の歴史探訪も楽しい「港七福神めぐり」
どの七福神めぐりも魅力にあふれていますが、特に意外な場所、そして色々な町なみ、名所を有しているのが「港七福神」だと思います。実は、七福神めぐりでありながら「宝船」が加わった8ヶ所というのも素敵です。
芝から麻布、六本木周辺をめぐる七福神は、徳川将軍家の菩提寺・増上寺や、アメリカ公使館も置かれた善福寺の近くをめぐるもの。距離も高低差も含めて、ゆっくりと楽しみたい場所になります。
およそ6㎞の行程をどうめぐるかは自由ですが、公式サイトでは赤羽橋駅近くの宝珠院をスタートにするのがおすすめとのこと。少し贅沢な気分にもなる港七福神を、ぜひめぐってみませんか。
年始の人気行事・七福神めぐり。レキシペリエンスでは令和2年1月11日、東京都港区を中心にした港七福神をめぐるツアーを開催しました。 都心の意外な歴史を発見しつつ、人気の御朱印集めや老舗ランチなど街歩きも楽しい、港七福神めぐりおすすめのコ[…]