新元号「令和」発祥の地!太宰府市にあるゆかりの地で歴史を感じよう

天皇陛下即位に合わせ、2019年5月1日から制定された新元号「令和(れいわ)」。645年の「大化」から数え、248番目の元号となります。その発祥の地として注目を集めているのが、福岡県太宰府市です。その理由とともに、令和ゆかりのスポットをご紹介します。

“令和”の典拠となった『万葉集』

「令和」の典拠となったのは、8世紀後半頃に成立した日本最古の歌集『万葉集』に収められた「梅花の歌三十二首の序文」の文言とされています。

初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫ず。

訳)あたかも初春のよき月、 気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前のお白粉のような色に花開き、蘭草は腰につ ける匂袋のあとに従う香に薫っている。


(『万葉集』巻五、梅花の歌三十二種并せて序)

天皇や皇族をはじめ、貴族から農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ約4500首もの歌が収められている『万葉集』。「令和」には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。今の時代にふさわしい、素敵な元号ですね。

この序文は、大宰府の長官“大宰帥(だざいのそち)”である大伴旅人が主催した梅花の宴の様子だといいます。そのため「令和」発祥の地として、宴の舞台となった福岡県太宰府市が注目されているのです。

太宰府市にある“令和”ゆかりの地

大伴旅人が赴任した大宰府政庁

大伴旅人は、『万葉集』の選者である大伴家持の父で、奈良時代初頭の政治家として有名な人物です。神亀4(727)年頃、大宰帥として大宰府に赴任しました。
7世紀後半から12世紀前半にかけて置かれた大宰府は、西海道(九州一帯)の統治や対外交流の窓口、また軍事防衛の拠点として重要な役割を担っていました。

大宰府政庁跡

梅花の宴の舞台となった大伴旅人の邸宅

天平2(730)年の正月、大伴旅人は自邸に大宰府や九州諸国の役人らを招き、梅花の宴を開きました。 その邸宅が、大宰府政庁跡の西北にある坂本八幡神社近辺にあったとされています。5月1日には、令和ゆかりの地として御朱印を求める観光客が殺到したようです。

梅花の宴のジオラマがある大宰府展示館

大宰府政庁跡にある大宰府展示館

また、大宰府政庁跡にある大宰府展示館では梅花の宴の様子が模型で再現されており、こちらも来館者が急増。太宰府市による「令和」グッズなども販売され賑わっています。

太宰府市も令和クリアファイル(300円)を販売。

実は新元号が決まる少し前に展示館を拝見したのですが、まさか梅花の宴の人形がこれだけ注目されるとは思わず、写真を撮っていませんでした…(笑)来館者もほぼいなかったように記憶していますが、新元号が決まった直後は1日1000人以上が訪れるようになったとのこと。このようなきっかけで、一般的にはあまり注目されにくかった史跡や歴史が観光資源となっていくのが面白いですよね。

展示館には、発掘調査によって検出された遺構が保存公開されているほか、大宰府の歴史と文化が紹介されています。この機会に、ぜひ現地でご覧になってみてください。

玉石溝
発掘調査で検出された奈良~平安時代の溝が、当時の姿のまま保存・公開されている。
展示館内には、当時の大宰府周辺を再現したジオラマも。

梅の名所・太宰府天満宮

太宰府天満宮にある「飛梅」
菅原道真公が愛でていた梅が、道真公左遷とともに飛来した伝説に由来しています。

太宰府市一番の観光スポットといえば、梅の名所としても知られる太宰府天満宮。梅が咲く時期には、梅花の宴が開かれた当時の様子を想像しながら訪れたいですね。

他にも、市内各地には梅花の宴で詠まれた歌碑が多数設けられています。ゆかりの地を巡って、「令和」に込められた意味とともに、その歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

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